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森の別邸

森の別邸

KANAYA RESORT HAKONE

「KANAYA RESORT HAKONE」は鬼怒川金谷ホテルの創業者である「ジョン金谷鮮治」が愛した「森の別邸」をコンセプトに、箱根・仙石原の6千5百坪の広大な森の中に地上2階、地下1階建てのホテルとして2017年11月3日GRAND OPEN。館内にはコンセプトスイート「JOHN KANAYA Suite」(ジョンカナヤ スイート)を含む14の客室、東京都港区西麻布に実在したレストラン「西洋膳所ジョンカナヤ麻布」の意志を継承し、和のテイストを織り交ぜたフランス料理をお届けするダイニングとバーラウンジ、午後のティータイムからディナー後のバータイムまで楽しめるガーデンテラスなどがあり、14室の個性に合わせた源泉かけ流し温泉風呂をご用意いたしました。大涌谷を源泉とする箱根ならではの良質な温泉を客室でゆったりとお楽しみいただけます。

日本最古のホテルをルーツにした老舗ならではの、日本の美しい伝統とホテルとしての機能を合わせ持った粋な空間とサービスで、ご滞在いただいたゲストに「日常から解き放たれ、自分を取り戻すことができるプライベートなひと時」をご提供いたします。

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John Kanaya

John Kanaya

How do you do ?
Nice to meet you.

日本のホテル近代化の立役者
ジョン金谷鮮治の伝説

 流暢な英語で語りかけられた「How do you do ? Nice to meet you.(はじめまして)」。鬼怒川金谷ホテル創業の指揮を執ったジョン・カナヤことジョン金谷鮮治が、 生まれたばかりの孫に最初にかけた言葉です。この日、病院を訪れた鮮治は真っ白なモーニングジャケットにシャポー、手にはステッキという目を引くいでたち。若い頃に欧米諸国を漫遊し、西洋の文化を吸収した彼は、ダンディという形容がぴったりの紳士でした。

 ジョン金谷鮮治の「ジョン」はクリスチャンの洗礼名で、本人は生粋の日本人。日本最古のリゾートホテルとして名高い「日光金谷ホテル」 の創業者、金谷善一郎の孫にあたります。西洋式に靴のまま生活する家庭環境で育ち、一族のパイオニア精神を深く受け継いだ鮮治は、 一流ホテルで修行を積んだのち、「鬼怒川温泉ホテル」の初代社長に就任。当時、鬼怒川温泉随一の規模を誇った同ホテルを発展させるとともに、 鬼怒川エリアの発展にも寄与。また、日本ホテル協会理事長などを歴任して、国内のホテルや観光業界の近代化に大きく貢献しました。

継承され、進化し続ける
“和敬洋讃”のスピリット

 1971年、鮮治は新たに西洋レストラン「西洋膳所ジョンカナヤ麻布」をオープン。日本の食文化を西洋の料理やインテリア、 サービスと融合させた同店は、彼の経営哲学"和敬洋讃(和を敬い、洋を讃える)"を具現化したものでした。国内外で一流の食や 文化芸術にも触れることで独自の美学を確立した鮮治が目指したのは、和と洋両方のよさを兼ね備えた一流の設備とサービス。 そして、その集大成として「鬼怒川金谷ホテル」が開業したのは1978年です。心待ちにしていた鮮治は前年に病のため他界、 完成を見ることは叶いませんでしたが、長男の輝雄、孫の譲児がそのスピリットを継承。経営哲学を守りながら、時代に合わせて 改良を重ね、別荘のくつろぎとホテルの洗練された空間や利便性の融合を実現させました。現在は、古代檜の大浴場とお洒落なシガーサロンが共存する、唯一無二のリゾートホテルとなっています。

日本最古のリゾートホテルから日本最高のリゾートホテルへ。
金谷ホテル観光グループは、「鬼怒川温泉ホテル」「鬼怒川金谷ホテル」「THE KEY HIGHLAND IZU」の3施設に続き、森の別邸「KANAYA RESORT HAKONE」の運営を行ってまいります。

profile

1910年

明治43年

金谷ホテル創業者

金谷善一郎の孫として日光金谷ホテルで誕生

1934年

昭和9年

立教大学卒業後、箱根富士屋ホテル、

帝国ホテルで修行

1953年

昭和28年

日光金谷ホテルから独立・設立された

鬼怒川温泉ホテル株式会社の社長に就任

1957年

昭和32年

火災によりホテルを消失するも、

翌年には再建を果たす

1960年

昭和35年

ホテルニュージャパンの設立に際し、同ホテル常務として携わり、ホテル業界では初めて和風スタイルの導入を提言。その後も、北炭観光開発株式会社(後の三井観光開発株式会社)副社長として札幌グランドホテル、札幌パークホテルなどの運営にも携わったほか、東京レストラン経営株式会社、日本ハイウェーサービス株式会社、株式会社白良荘、日光開発株式会社などの経営に参画。また、日本旅行協定旅館連盟会長、日本ホテル協会理事長、内閣観光政策審議会専門委員など、日本における高度成長期の観光事業の要職に就き、日本を代表するホテルマンとして業界に名声を博した。
プライベートでも立教大学在学中からアイスホッケー部の金谷三兄弟の長兄として活躍し、その“破天荒”な生き方は、後世さまざまな伝説を残した。

1971年

昭和46年

西洋レストラン「西洋膳所ジョンカナヤ麻布」をオープン。鮮治のグルマンとしての経験と知識が結集され、懐石料理のエッセンスを 取り入れた新しいフランス料理を創造、当時の粋人達を虜にした。料理の鉄人の“ムッシュ”坂井宏行が初代シェフを務めた伝説の レストランとして知られ、数々の著名な方々に愛されたお店としても有名に。
白いリンカーンと葉巻がトレードマーク・・・
銀座を歩くと、各辻の花売りが直立不動で挨拶を・・・
ピカソの絵を値段も聞かずに購入した・・・
海外旅行のお土産として、ダイヤモンドで社員章を作り役員に・・・
ローマのレストラン「アントニオ」に行くと必ず特別製の貴族向けカトラリーがセッティングされた・・・ などなど、ジョン金谷鮮治には数々の豪快な逸話がある。その時代を見越したアイディアセンスと幅広い人脈は、 高度成長期の昭和の良き日本を代表した粋人と言えるだろう。

1977年

昭和52年

準備中であった鬼怒川金谷ホテルの開業を目前に他界

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